蒼風県

提供:関南・東山地方Wiki
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蒼風県(そうかけん)は箱日本の塗帆地方東部に位置する県である。県庁所在地は蒼風市(そうかし)。

概要

蒼風県は塗帆地方の東端に位置しており、東側には東景湾が広がり、蒼風県南端の県境は陽所山脈(ようじょさんみゃく)の尾根になっており、山脈はそのまま海へと突き出して陽所岬(ようじょみさき)となっている。

なお、蒼風県の県庁所在地でもある蒼風市は、新港区(しんこうく)、船見区(ふなみく)、片瀬区(かたせく)、水沢区(みなさわく)の4区からなる、蒼風県唯一の政令指定都市である。

その範囲は旧来の令制国の錨帆国(いほのくに)に由来する。なんか似ているからと言って、錨帆乃糸(いほのいと)などという名前のそうめんブランドが有ったりはしない。

名称

蒼風県は古くから帆掛け船による漁業や船運が盛んであり、特に日没近くに吹く東風は、港へ帰る漁船や入港する商船に重宝され「入り港の風(いりみなとのかぜ)」や「蒼の風(あおのかぜ)」と呼ばれていた。

これは、この東風と日没のタイミングが重なる事から「東から吹く風が夜の蒼さを運んでくる」という民間伝承によるもので、幕末に蒼風港が諸外国に向け開かれると「アズールウィンドポート(群青の風の港)」として、「蒼風」の名が国際的に有名になった。そうして、明治維新の廃藩置県により旧国名を都道府県へ改名する際、全国的に知名度のあった「蒼風」の名称が県名に選ばれ、「蒼風県」と命名された。固いせんべいで有名な埼玉県の地名や、某新興宗教組織とは、読みは同じだが何の関係もない。イントネーションは用法によって「廊下」と同じだったり、「豪華」と同じだったりする。基本的にどちらでも構わない。

地理・地域

蒼風県は上下共にだだっ広く、地形は平野が多いが、陽所山脈周辺を中心に高低差もあり、人口密集地は海沿いの扇状地や川沿いの河岸段丘に集中している。

蒼風県を構成する市町村は、

県庁所在地であり、国際色豊かな港湾の大都市である蒼風市、

軽工業地帯や塗帆地方最大の空の玄関口である、羽白国際空港を持つ羽白市、

主に金属加工などの町工場が多い、下町気質の炉里市、

旧錨帆国の中心地として城が置かれ、寺社仏閣も多い錨宮市、

国際港と風光明媚な音ノ島を有し、県内有数のリゾート地でもある蒼南市、

明治以降軍港が置かれ、造船業が盛んな、重化学工業地帯の陽所市、

福伏方面など、箱日本本土へ渡る最短航路の玄関口、北限の東景市

縦横に街道が交わるかつての交通の要衝だった、関所のお膝元の雪ノ関町、

蒼風県唯一の村だが、宿場の古民家観光などでそこそこ人気がある、宿場町の深紅村、

の6市1町1村である。

歴史

蒼風県の原始、及び古代の歴史は、あまり判明していない。遺跡があまり出ない……というより、県民性からか、遺跡が見つかっても調査が面倒で埋め戻したり撤去してしまうらしい。「……何も出ていない、いいね?」

珍しく破壊されずに保存された例としては、錨宮市西部の火霞稲荷山(ひがすみいなりやま)古墳があり、地元の神社の敷地となっていたために開発を免れ、2000年に粘土によって封じられていた入口を最小限開口して調査が行われ、神社に残る文献の通り、巨大な横穴や石室が発見された。内部に江戸時代後期に生まれたはずの和型墓石のような石棺が存在しており、開口して盗掘に遭った痕跡も見当たらないことから、謎の多いオーパーツとして現在も研究が進められている。

記録が残っているのは中世になった鎌倉時代あたりからであり、有力な豪族を武力と駆け引きで纏め上げた、「赤加賀氏(あかがし)」という一族がこの地を治めていたらしい。

その後、守護から戦国大名となった赤加賀氏は、錨帆国の首領としてその後もこの地域を支配し、絶えず他国との合戦を繰り広げながらも、

一度たりとも大規模な侵略を許すことなくこの領地を守り切った。戦国時代後期には三城国の領主、三城氏との三赤(さんせき)同盟を結び、他の地方や諸外国の侵攻に備えた。

特に武勲と采配に優れていた戦国武将の赤加賀弦元(あかが つるもと)の伝説は、塗帆地方のみならず、全国的に語り継がれている。

この赤加賀弦元は大の酒好きとして有名であり、宴会の席で泥酔して適当に女を口説いていたら、実はその女は敵が仕向けたくノ一の刺客であり、

危うく暗殺されそうになるも、ひらりひらりと攻撃をかわしながら執拗に口説き続け、ついに口説き落として難を逃れたという伝説もある。

その時の刺客は後に弦元の側室の「宵の方」(よいのかた。宵姫とも)となり、3人の子宝に恵まれたらしい。

政治・行政

緊縛君主党を始めとする箱日本の逆張り政党は議会から出禁にされている。関係者自体はそれなりに入り込んでるらしい。

明治以降、諸外国の領事館が置かれ、戦後は陽所港が在箱米海軍の拠点となっているため、欧米諸国との繋がりが深いとされる。

また、国際港が開かれたことにより東アジア諸国方面への玄関口としても機能し、蒼風中央で古くから賑わう蒼風中華街や、南蒼風港の唐商人倉庫街などにその影響が表れている。

鉄道は箱日本国鉄から路線を継承されたJMR塗帆によって、

 東景駅から黒河咲、蒼風中央、南蒼風を通り、白波県の椿沢、雪舞、浦ヶ崎を抜けて小河原方面へ向かう東毎道線、

 黒河咲から分岐して蒼風市方面へは行かず、炉里河合を通って直線的に雪舞までを結ぶ雪舞線、

 黒河咲から羽白市中心市街を目指し、連絡橋で洋上の塗帆羽白国際空港へ乗り入れる小規模ローカル単線の羽白線、

 南蒼風から陽所半島の山間部を通り、軍港の街 陽所を目指す陽所線、

などの路線が蒼風県内を走っている。陽所線は東毎道線に乗り入れて東景駅まで同じ線路を走るため、東景~南蒼風までは「東毎・陽所ライン」という共通愛称で案内されることも有る。

私鉄では雪々急行鉄道を始め、蒼南市に観光路線として名高い蒼南電気鉄道が走っており、炉里市の炉里河合駅から蒼南音の島駅まで、蒼風市交通局モノレールのグリーンラインが、船見駅から雪急連絡船ターミナルまではポートラインが運行されている。

バスは雪々急行鉄道沿線を中心に展開する雪急バスのほか、蒼南・陽所地域の蒼南電鉄バス、蒼風市周辺の蒼風市交通局バス(市バス)などが運行されている。

長距離船はJMR塗帆から引き継がれた雪急連絡船が様々な遠隔地まで就航しているほか、中国・東南アジアなどへ渡る猫南海(マオナンハイ)フェリーや、箱日本各地へ就航するいとしのフェリーなどがある。

また、蒼風港周辺の各地を結ぶ海上交通の蒼風ブット・バスや、蒼風港周辺をクルーズする観光船の蒼風トム・クルーズ、南蒼風港から雪舞港を結ぶ雪舞汽船のもう気がクルーズなどがある。

航空は羽白国際空港から、激墜ち航空日輪エアを始めとする各種航空会社から、箱日本各地に航空便が出ている。空港へのアクセスは細々と走るJMR羽白線か、蒼風中央駅前からの高速リムジンバスと海上バスのブット・バスのみだったが、近年羽白市と雪急の合同で空港線を建設する計画が検討されているとかいないとか……。

有料道路は、東景~南蒼風間の蒼風湾岸都市高速道(都市高 蒼風湾岸線)、南蒼風から陽所方面へ延びる蒼南陽所自動車道(蒼陽道路)、東毎道に沿って白波県の小河原へ続く小河原バイパス、羽白から三城県方面へ続く三蒼高速自動車道(三蒼道)などがある。

文化

蒼風県は音楽アーティストの出身者が多い。

  • いいきものばかり

 深雪ヶ原駅周辺発の呉服屋系アーティスト。HAKAMA、歌舞いていこう、ちょいふる などが代表曲。メジャーデビュー前は雪急デパート深雪ヶ原店の前でよく路上ライブを開催しており、『着物の宣伝になりそうだ』と雪急デパート側もライブを容認していた。ブレイク後は公式に和装宣伝アンバサダーとして契約を結び、たまにデパートの催事などでミニライブが開催されている。なお、着物以外にはあまりこだわりがないらしく、普段着はユ○クロ。

  • くず

 南蒼風発の、賭け好きアル中系アーティスト。栄光の賭けパチ、ホモ~朝〇ちの日に~、札色(さついろ) 等が代表曲。歌は上手いが酒を飲まないと震えて歌えないし、ギャラは全部ギャンブルで使い込む。無名時代、雪急蒼南線でキセル乗車して捕まった事がある。

  • 遭難乃風

 音ノ島周辺在住のメンバーで結成した、ヨットで遭難経験のある男達のグループ。強風でヨットが転覆した時の緊迫の一瞬を歌った、水面下という曲で一躍ブレイク。その他、先述の遭難の経験を歌った突如出火、炎天下、大喧嘩 等の曲がある。

その他の有名人には、

  • 分岐亭こう差 『こう差師匠』という呼び名で親しまれる、南蒼風出身のベテラン落語家(真打)。古典的な噺にとどまらず、「でっどろっく」「駅そば」「あゝ泣き別れ」など、自身で新たな創作落語を制作するなど、意欲的な活動で知られる。
  • 少泉 進寿郎(しょういずみ しんじゅろう) 陽所出身の政治家。地元陽所への交通アクセスを改善する蒼南陽所自動車道の建設を実現するなど、そのカリスマ性により地元の支持は厚いが、「逆増税政策」「多子低齢化政策」など微妙に分かりにくい言い回しをよくしており、ネットを中心に「半ライスの倍盛り」などとしばしばネタにされている。

関連項目